記 憶      
さくらあきみち 様
階段のところで啓介は涼介とすれ違った。
この春から高校生になった涼介は紺のタイとブレザーで、学ランの啓介から見れば相当大人びて見える。
同じ制服で通っていた去年は、涼介の学ランは最高に格好良く思えていたというのに、それが間違いであったことを知らされたようで少し悔しい。
「えっ」
降りかけていた足を止め啓介があげた声に、涼介は自室のドアを開けながら振り向いた。
「どうした、啓介」
「・・・アニキ」
言いよどむ啓介を促して部屋に入る。
机の定位置に鞄を置く涼介の背に、啓介がすんと鼻を鳴らす。
きっちりと片付けられた部屋は啓介の所とは大違いだ。
啓介の部屋ではそこ以外に座るところがないからなのだが、何時の間にか定位置にしてしまっているここでも、啓介は涼介のベッドへと腰を下ろした。
部屋の中はいつもとなんだ変わりはない。
さっきのは気のせいかと思いかけた啓介の前で、涼介が無造作に上着を取りハンガーに掛けた。
「ああ、やっぱり」
ふわりと動いた空気の中に、悪友の部屋で嗅いだ匂いが混じる。
部屋の空気ではなくて、涼介の体臭に混じって。
「アニキ、煙草吸ってる」
啓介の言葉に涼介は少しだけ驚いた顔をして見せた。
それから、破願する。
「啓介、鼻、良かったんだな」
この家の中に他に喫煙者はいない。独特の匂いに気付かないのは当事者だけだろう。
啓介も勧められたことはあるが、じっさいに試すことまではしていない。
でも、涼介が吸っているのならば興味はあるのだ。
涼介の鞄の中から取り出されたボックス。
手渡されたそれを開くと、中身は数本しか減っていない。
啓介の目の前で涼介は白い紙巻を一本引出し銜えると、無造作にライターで火を点けた。
手品の種明かしをするように啓介の手の中にライターが落ちる。
握らされた二つのものを啓介は交互に見て、それから、兄のほうへと視線を向けた。
銜え煙草のままの涼介の口元が笑いの形に引き上げられる。
息を呑んで、啓介は取り出した一本を唇に当てた。
先にライターの火を近づける。
紙の表面が黒く焦げる。
だが、火が移らぬうちに啓介はライターの火を消していた。
「あっちっ」
声と同時に煙草が落ちる。
押し殺したような笑いが涼介の口元からこぼれた。
何時の間にか取り出した灰皿の上に灰を落とすと、涼介はその手を自分の口元ではなく啓介のそれへと重ねた。
「あまり深くすいこむな」
煙の匂いが鼻先をかすめる。
ほんの少し唇を尖らせて、啓介ははじめての煙を吸い込んだ。
口の中に煙のざらついた感触が広がる。
緩く息を吐出し、もう少し喉奥まで入れる。
先の焔が息に合わせてその色を濃く、薄くする。
「深く吸うなよ」
言われて、だが、天邪鬼な気分が頭を持ち上げて、煙を肺の奥深くまで吸いこむ。
くらりと、強烈な酩酊感が来て、世界が揺らいだ。
涼介の腕が啓介の肩を支える。
「言ってるそばからするか」
言いながら啓介の口元から煙草を奪い取り、もう一口つけてから灰皿に捩じ込んだ。
啓介と反対方向へ煙を吐き出し、それから、啓介の瞳を覗きこんで思いついたように笑った。
「啓介、おまえ、泪が出てるぞ」
涼介の腕に支えられ、もたれかかったままぼうっとしていた啓介はその言葉に我に返って慌てて手の甲で目許をぬぐう。
「アニキ、意地悪い」
涼介に頭をぽんぽんと叩かれてさらに啓介はむくれた。
「俺のせいか、啓介。今だっておまえを支えてやったってのに」
言葉のたびに、涼介の口唇が動く。
覗くきれいな歯列。
銜え煙草も、やんなるぐらい決まってた。
意地になって煙草のパッケージを探り、もう一本取り出して銜える。
二度三度、格好悪く、火を点けるのに失敗したライター。
炎を煙草の先に合わせようとして、手が震えた。
「息を吸わないと、火は点かないぜ」
慌てて吸いこむと、さっきのように眦に泪がにじんだ。
口先だけで、吸って吐いてを繰り返す。
紫煙が部屋の空気に溶けていく。
長くなって落ちかけた灰を涼介が差し出してきた灰皿の上にあわてて落とす。
さまにならない、決まらない。
涼介の指先が伸びて、啓介の手から煙草を奪い、自身の唇へと運ぶ。
啓介の目にひたと視線を定めたまま、深く、吸った。
口元に浮かぶ、微苦笑。
「人より早く経験したって、こんなこと、なんの自慢にもならないぞ」
二口ほどつけて、啓介に戻してよこす。
もう一口だけ吸いこんだが、それ以上は欲しいとも思えず、啓介はそれをそっと灰皿の上に落とした。
名残の煙りが、指先を掠めて立ち昇り、消えていった。



原始の記憶は奇妙に鮮明だ。
未だに、煙草に火を点けるたびに啓介はあの日の涼介の口元の笑みを思い出す。






さくらあきみち様より「引越祝」でいただきました。素敵なお話ありがとうございます。
さくらさんのお話っておしゃれですよね…うっとり。こんなに早く、こんなに素敵なお話がいただけるなんて思ってなかった私は感涙です。 ありがとうございました。また、お願いしたいなぁ…(^^ゞ  By.葉月


「引越祝」ありがとうございました。とてもうれしいです\(^o^)/
自分がタバコを初めて吸った時のことを思い出してしまいました(笑)
とっても「弟」な啓介と格好いい「兄」にうっとりですvvvまた機会がありましたらぜひさくらさんの涼×啓拝ませて下さいねm(._.)m By.みこと




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