Let me call your      
広瀬玲 様
 一度だけ。
 もしも、願いが叶うなら。


「手」
 唐突に発せられた言葉に、涼介はふと瞬きした。
 弟のことなら大抵のことは理解しているつもりだが、未だにたまにこうやって理解が及ばないことがある。
 …それもまた、楽しいのだけれど。
「手、貸して。アニキ」
 なんだそんなことか、と自嘲して、涼介は弟に手を伸ばす。…でも、何の為だろう?
 啓介は差し出されたその手に自分の掌を重ねて、ぎゅっと強く握った。
「……いきなり、なんだ?」
 夜の峠。辺りは闇に染まっていたけれども、車のヘッドライトで照らし出された空間にはそれでも人の目はある。
 彼らの車も彼ら自身もどうしたって目立ってしまい、決して辺りに紛れてしまうことはない。
 二人で話をしているのはいつものことだから奇異に思われないだろうが、向かい合って手を取り合っている姿は普通ではないだろう。
「同じくらいだと思ってたけど、やっぱりアニキの方が少し大きいな」
 包み込むことのできない大きさの手を握り締めたまま、啓介は呟くように言う。
「大して変わらねえけどな」
 曖昧に返事をして――それでも、手は重ねられたままで。
「何やってんですかぁ、啓介さん! 俺の走り見てくれるって約束したじゃないですかー!」
 少し離れたところから、彼らの後輩の呼ぶ声がした。
「おう、今行く」
 啓介は声のした方に返事をして、ゆっくりと手を解いた。
 あっさり開放される手と、離れていく熱。
「啓介…」
 あまり無理はするな、と兄の顔で言おうとした涼介だったが。
「……ごめん。ちょっと手ぇ繋いでみたくなっただけなんだ」
 横を擦り抜けていく時に目を合わせないで告げられた言葉に、何も言えなくなった。
 啓介は何事もなかったかのように笑いながら、仲間たちの下へと歩いていく。
 自分もそろそろ行かなければ、と歩き出した涼介の視界に、不意にメンバーの一人がギャラリーの女性と話している姿が映った。
 自分たちの走りを見に来る者は少なくはない。その中には何が目当てなのか、女性も多い。
 これまでにその存在を気にしたことはなかったが、チームのメンバーと仲良く話しているのを見るのはあまりないことだ。
「あ、涼介さん」
 涼介に気付いた彼は見咎められたと思ったのか、苦笑して頭を掻いた。
「えーと…俺の彼女なんです。…どうしても俺が走るトコ見てみたいって言うから。俺のなんか見ても仕方ねーのに」
 焦った様子でそう言いながらも、彼はとても嬉しそうで。
 寒いのか身体を寄せ合って、楽しそうに話をしている。
 ――峠でデートか…。
 そう思って、自分たちも似たようなものだと気付き、涼介は苦笑を浮かべた。
 そして、ふと思い至った。
 彼と彼女の、繋がった手。
 先刻の啓介の視線の先にあったもの。
 ――あいつは…。
 何も言わなくても解る。それだけの年月を共にしている。
『俺の彼女なんです』
 幸せそうに笑う彼の表情。


 もしも。
 そんな風に言うことができたら。
 幸せそうな笑顔で。
 しっかりと手を繋いで。
 一度でいいから。
 ……決して叶えられない願い。


「啓介」
 一本終えて戻ってきたところに近づいて、涼介は弟に声を掛ける。
「あ…何? アニキ」
 銜えたばかりの煙草を手にとって、少し笑顔を見せる。
「お前、明日は暇か?」
「暇だけど…何?」
「良かったら、何処か行かないか。二人で」
 涼介の言葉に、啓介はまだ幾らも吸っていない煙草を地面に落とした。
「え……マジ?」
「俺がお前に嘘言ってどうする」
 慌てる啓介が可笑しくて、涼介は笑みを零す。
「だって…ここんとこずっと、アニキ忙しいみたいだったし。二人で出掛けるなんて、すげえ久し振りだしさ」
「そうだな…」
 最後に二人で出掛けたのは、いつだっただろう。ショップに顔を出した時だったかもしれない。
 そういったことでもなければ、一緒に出掛けることもなくなっていた。
「…でも、何処行くんだ? なんか新しいパーツでも見に行くとか?」
「いや、そうじゃない。…別に目的なんかねえんだけどな。単にぶらぶらするのもたまにはいいだろ」
 ただ、二人だけで何処かへ行ってみたくなっただけ。
「……なんか、デートみたいだな。そういうの、初めてじゃねえ?」
「そうだな」
 何処に行ったとしても、手を繋いで歩いたりはできないけれど。
 笑みを交し合うことだけが、二人に許された唯一のことだから。
 ……祝福されたいわけじゃない。そんな必要もない。
 隠すのが辛いわけじゃない。必要ならば、死ぬまで隠し通す自信もある。
 ……けれど。
「…久し振りに、電車で行くか?」
「いいな、それ。どうせなら、どっか知らねえトコ行こうぜ」
 嬉しそうな笑顔につられて、涼介の笑みも普段は見せないものへと変わる。
 何処へ行こうと、二人の関係が変わることは有り得ない。…でも、それでもいい。
 誰にも祝福されなくていい。誰にも許してもらえなくていい。
 それでも、もし――もしも、願いが叶うなら。
 一度でいいから、そう呼んで欲しい。…呼びたい。


 ……誰よりも愛しい、唯一人の恋人。



大好きな大好きな大好きな(以下、エンドレス)玲さんに、とっても素敵なお話をいただきました(感涙)
葉月が”涼×啓”にはまったのは、玲さんのお話がきっかけです。
本当にありがとうございます。
  by葉月

兄弟ってせつないですね(涙)
葉月に勧められて玲さんのサイトに伺っているうちに、私もすっかりファンになってしまいました。
本当に本当に嬉しいです(滝涙)
お忙しい中、素晴らしいお話を書いて下さってありがとうございました。
 by みこと




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